何回か前の投稿で「喜ばれる存在」とう
小林正観さんの言葉を記載しました。
また、これは、
受け身の表現をとっていることにより、
自分だけのことではなく、周りの方の存在を
念頭に置いた表現であると思います。
そんなこんなを考えていた後に、
今回の「生きている、と、生かされている」が
頭に浮かんできました。
日ごろあまりこのことに意識を向けずに
普通に生活していると、どうしても、
「生きている」という前提でものごとを観、
考えてしまうように、自分自身を振り返って
そう感じます。
しかし、
よく考えてみると、人生を通して、
やはり「生かされている」というベースで
ものごとを観、考え、判断した方が、
本来のあるべき人の姿のような気が
個人的にはしています。
例えば、
自然を考えるとすぐわかると思いますが、
そもそも、いま息ができているのは、
空気があるからこそ。
お腹がいっぱいになるのは、
食べ物があるからこそ。
基本、食べ物は自然の恵みですね。
広義の意味で人も自然の一部と捉えるならば、
食べ物を育てている人がいらっしゃるから。
物流で食べ物を運んでくださる方がいるから。
料理をしてくださる方がいらっしゃるから。
このようにちょっと考えてみるだけでも、
「生かされている」という捉え方の方が
的を射ているような気がしています。
確かにある程度は、また状況により、
必要な場面もあるかとは思いますが、
「(自分の力で)生きている」と強く
思い過ぎると、きっとどこかで無理が
出てくるような気がします。
「生かされている」という感覚を
長く持ち続けることができたならば、
他の方は何とも思わないような
ささいなことに対しても
自然と「感謝の念」が湧き、
必然的に幸せと感じる時間が
増えてくるのではと思います。
どちらが正解ということはできないと思いますし、
白黒つけるような話でもなく、
やはり両者のバランスが大切そうですね。
※いつもここ(バランス)に行き着いてしまいますね^^
何かに行き詰ったときなど、
今回の「生きている、と、生かされている」を
思い出して、バランスを客観的に見て、
バランスをとれるようになるといいですね。
今回のシェアが皆さんの気づきや、
何か考えるきっかけになりましたら、
幸いです。
いつも最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
感謝いたします。