○ 奇跡の時間

先日、

外にある階段を朝方使用していると、

緑色の「かなぶん」が下から3番目の

階段の隅に居て、止まっているようでした。

ただ、何回か階段を往復していると、

少しずつですが、動いていたようです。

きっと夜に光にでも魅せられて、

迷ってきたのだろう。

いまは朝方なので、

お昼にどこかへまた戻っていくのだろう。

そんなくらいに捉えていました。

そして、夕刻。

その階段をまた使用したのですが、

その「かなぶん」さんは、

そこにまだ居ました。

ただ、今度はじっ として、

そこに動きはないようでした。。

話し変わって、

ちょうどその「かなぶん」さんを

見る前日だったと思います。

休日、

車の中で待ち時間があったので、

シートを倒して、目を閉じて

少しゆっくりとしていました。

車で眠るときには眠りが浅く、

体は眠っているのですが、

意識があるときが多くあります。

その時、

以下のようなことを感じました。

「目をいま閉じている。

 太陽の光は少しだけ感じるが、

 基本的に真っ暗な世界だ。

 もし、

 このまま目が開かなかったら、

 どうなるのだろうか。」

そして、

ゆっくりと、まぶたを開けました。

無事に目が開き、周りの景色が

目に入ってきました。

あたり前のこととも捉えられますが、

あらためて新鮮な気持ちになりました。

と同時に、

目が見えたり、笑顔になれたり、話せたり

いろいろなことができているという

奇跡の時間の中でいま生かされている。

そのような自由を与えられた自分を

どう日々大切に生かしていくとよいのだろうか。

そのようなアウトプット面にも

自然と意識が向います。

ためしに、

数秒、目を閉じて、

「もし、目が開かなかったら」と

考えていただき、

しばらくして、

また、目をあけて見られてみると、

何か気づきがあるかもしれませんね^^

おなじようなことを、

このメルマガやブログでは何度も

何度も書かせていただいておりますが、

生きているということに、

ただ、ただ感謝という思いがあります。

ただ、

上記のようなタイミングで感じていても、

また、その感謝の念を忘れてしまっている

自分もまた瞬間瞬間で存在しています。

それが人間というものでもあると思います。

人生を通しての永遠なる躾のひとつ

なんだろうと思います。

これからも、似たようなことを

記載させていただくことがあると思いますが、

その際は、何かのご縁と感じていただきましたら、

幸いです。

今回のシェアが皆さんの気づきや、

何か考えるきっかけになりましたら、

幸いです。

いつも最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

感謝いたします。

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