○ 幹とアレンジ

youtubeでの久石譲さんの

ジブリのコンサートを

何度となくご紹介させて

いただいておりますが、
(メルマガの下の方にリンクあります。)

ふと、思いついたのが、

そういえば、CDがあるのでは??と。

さらにいい音で聴けるかも♪

っと思い、近くのTSUTAYAへ

行ってきました。

気づくのが遅すぎですが・・・^^

そしたら、やはりありました!!

そして早速今日からそのCDを車で

聴いています。

本を買うときと同じように、

気に入った人のシリーズを

まとめてどさっと借りました^^

そして、

思った通り、いいですね~。

っとここまでで趣味の話は止めておきます。

気づきをですね。

何曲か聞いているうちに気づいたのですが、

まったく同じ曲でも全く違うバージョンが

あるんだなということでした。

ゆっくりとした曲調になっていたり、

演奏している楽器が違っていたり、

編曲?というのでしょうか、

何かいろいろな音がメインの旋律の

前後や周りについていたりなど。

話は少し飛びますが、

以前、浜崎あゆみさんにはまっていた

時期があり、その際同じ曲でも~~Remixなど

1曲が10曲ぐらいになっているような

感覚を覚えたことを思い出しました。

更に話が飛びますと、

人間という軸・幹があるとすると、

この世の人はみな、その幹をもちつつ、

その幹の周りにそれぞれのアレンジを

加えながら生きているようなイメージが

ふと浮かんできました。

1曲が何十曲となるのと同じように、

人は72億通りの人のアレンジを生んでいると。

ちょっと変わった見方ですが、

本当にひとりひとり違う人のアレンジを

生んでいますよね^^

そう考えていくと、

虫さんだって、猫だって、犬だって、

そうですよね。

自然というものは、

基本要素は同じであっても、

まったく同じものはひとつとしてなく、

すべてがアレンジバージョンで

相互作用を与えているようですね。

さらに考えると、

1+1=2といった、

再現性のある数学(科学)は、

ある意味、非自然的なのかもしれませんね。

神の領域なのかもしれません。

ただ、おそらく、厳密に見れば、

1.000000000001など、

1であっても必ずどこかで1ではないような

気もするのですが^^

話が飛び過ぎましたね。

最後に今回お伝えしたかったことを

まとめますと、

ひとりひとり異なることが当たり前であり、

それが自然であるということを

今回の自然観察から学ばせていただきました。

むしろ、幹ではなく、

アレンジの範囲において、

周りと同じであることが多いならば、

それはおそらく不自然ということもですね。

自分に
その許しを与えてあげたいですね。

今回のシェアが皆さんの気づきや、

何か考えるきっかけになりましたら、

幸いです。

いつも最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

感謝いたします。

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