○ 三方からの「存在」

自己啓発などのセミナーや

本などにおいて、

目標設定について書いてあることがあります。

そして、

かなりざくっとにはなりますが、

目標を立てる際には、

 ・ having(保有すること)

 ・ doing(すること・行動)

 ・ being(在り方・存在)

のdoingやhavingではなく、

beingを元に、目標設定することが大切です。

といった内容が記載されていると思います。

まだ私の理解が浅いのかもしれませんが、

それに従って目標を設定したりしてきました。

ただ、困ったことに、時間が経過すると、

その目標を忘れてしまうのです。

みなさんにはそのようなご経験は

ないでしょうか。

再度立て直して、また忘れて、行動がなく、

また再度立て直して、、の繰り返し。

私の場合は、いちばんの原因は

おそらく行動不足と思われます。

その他の要因として、

そもそもの目標の立て方が良くなかった。

ということもあるかも知れません。

今回の投稿では、目標の立て方について、

少し考えたことを記載させていただきます。

※単純に私の理解が浅かっただけかも

 しれませんが・・・

ベースとしては、

上記の自身の「在り方 being」を元にする。

ここまでは同じです。

その後の言語化のときに、

その文章を作っている人の視座を

どこに置くのかということが、

大事ではないかと感じました。

例えば、

料理人の方でしたら、

世界でたった一つのおいしい料理を作る。

世界でたった一つのおいしい料理をいただいた。

世界でたった一つのおいしい料理を作る人である。

すみません。

例として、まったく、

うまく説明できていませんが、、、

言いたかったのは、

自身の「在り方」を言語化する際には、

自分目線、

相手目線、

天の目線

のいづれか(またはその他)で記述することが

できるということです。

そして、

目標設定においては、

自分目線より、相手目線。

相手目線より天の目線で言語化した方が、

より適切に自身の「存在」を

表現できるのではないか。

そう感じました。

「目標設定」と聞くと、

少なくとも私は、

どうしても自分目線で考えてしまいがちでした。

ただ、今回の気づきにより、

確かに自分目線では「○○」という

存在なのだけれども、

この状態を客観的に俯瞰して観た場合、

それは「☆☆☆」ということともいえないだろうか。

むしろ、そちらの方がいいのではないか。

と感じました。

まだ、実践が充分にできていないので

何とも言えませんが、

おそらく、自分目線の定義では、

世界がある意味狭く閉じているので、

自分だけのことになってしまい、

影響度も自分自身のみ。

結果的に忘れてしまっていた・・・

という流れが自身の中で回っていたと

思われます。本当はいけませんが。。

これに対して、

天の目線で定義することで、

周りとの兼ね合いの中での自分を

見つめ直すことになるため、

リアルに周りの方との接点ごとに

その定義を思い出すことにもなるため、

忘れにくくなるような気がしています。

忘れにくくなる=行動・改善する機会が増えてくる。

そうなれればと思っています。

話は少し飛びますが、

目標もそういった視点で、

ブラッシュアップできればと思います。

何度も何度もですね。

ちなみに、余談ですが、

今回の気づきは、

小林正観さんがおっしゃられていた

「喜ばれる存在になる」

という、文章をふと思い出したところが、

出発点でした。

思い出した後に、

「そういえば、

 なんで目標的なことばが、能動的な文章ではなく、

 受け身の文章なんだろう。」

「あ!、相手がいるからだ!」

などと感じて、

いろいろと考えてみました。

そういえば、ドラッカーさんの

『あなたは、何によって憶えられたいか』

も受け身表現ですね。

さらに余談ですが、

会社の理念などは、その前提からして、

天の目線での記載でしょうね。

個人のときにそれを適用できれば、

解釈が広がり、会社の理念との重なり具合も

増えてくるでしょうね。

今回のシェアが皆さんの気づきや、

何か考えるきっかけになりましたら、

幸いです。

いつも最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

感謝いたします。

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