○「私」と「私たち」

朝起きてから、

自身の目標といいますか、

在り方について自身に言い聞かせるように

しています。布団の中でぐずぐずしながらも。

※少しお休みしていましたが^^

ただ、起きてすぐというのは、

意識がはっきりしていないので、

夢の展開のように、

思考があっちへ飛んだりこっちへ飛んだりが

頻繁に起こります^^

そんなこんなで今朝、

ふと、「私」と「私たち」という

ことばが浮かびました。

それと使命ということば。

うまく説明はできませんが、

「私」と「私たち」の両方が、

この世界では大切な気がします。

例えば、「私たち」の生み出すものとして、

自身の周りの物理的なものを見まわたしても、

車にしても、住む家にしても、

歯ブラシにしても、テレビやスマホにしても。

これは、きっと

「私たち」の視座での会社・使命があり、

その結果生まれた製品に囲まれているんだなぁ

っと感じました。

「私たち」の視座で生まれる製品やサービスは

大きく社会へ影響を与えると感じました。

一方、「私」

確かに「私たち」と比べると、

その影響度は小さいように思われます。

ただ、「私たち」を構成している一人ひとりは

「私」であることには間違いありません。

ある「私」さんがいてくださったことで、

他の「私」さんが助けられることも多々

あろうかと思います。

「私たち」ではなく、「私」でないと、

届けられなかったことやサービスも

きっと存在すると思います。

仮に「私」と「私たち」の影響度についての

割合比率・その変化率を出せたとした場合、

インターネットという個々人レベルでの

情報共有ツールが出てきているという

現代においては、

「私」が与える影響度の割合い比率が

以前よりも上がってきているのではないか。

(必然的に相対的に「私たち」が低下。

 とはいえ、全体から見れば「私たち」の
 
 シェアは圧倒的に多いと思われます。)

そのように感じます。

どちらがいい悪いではないと思いますし、

「私」でないとできないことや

「私たち」でないと達成できないことも

数多くあると思います。

自分という「私」を大切にしつつ、

「私たち」における自分も大切にする。

その選択や、

リソース配分が自由にできると、

よりよい人生・社会になりそうですね。

今回のシェアが皆さんの気づきや、

何か考えるきっかけになりましたら、

幸いです。

いつも最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

感謝いたします。

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