○ 表現の舞台にいる

車を運転していて、

つい先ほど、以下のような言葉が

浮かんできました。

『この世では、

 みんな表現し合っている。
 
 それはたとえば、自己主張するひとも
 
 その一つであるし、主張しないことも
 
 その一つである。何かを表現している。
 
 草たちも一生懸命に表現している。
 
 表現し合っている世の中である。』

ポジティブなことや

ネガティブなこと、

行動することやしないこと、

表現することやしないこと、

メルマガやブログを書くことや書かないこと、

挑戦すること、しないこと、

そのどれもが、

何らかの表現となっていると

感じました。

この地球という舞台に存在するものは

すべて常時何らしかの表現を行っている。と。

仮にそのようにとらえた場合、

せっかく何かを表現するのであれば、

どのような表現がいいのだろうか??

そう思いました。

小さくまとまっている自分を表現したいのか。

与えられた才能をフルに使い切っている自分を

表現したいのか。

誰かのために動く自分を表現したいのか。

などなど

人それぞれにより、またそのときどきにより、

いろいろな表現を行っている自分が

想像されるのではないでしょうか。

ただ、

ある表現をしている自分を

想像できたことを、悲しいかな、

人はすぐ忘れてしまうようです。

このゴールデンウィークという期間で

お休みの方は、比較的固まった時間を

確保しやすいと思われます。

その時間の塊を利用して、

まずは深く広く想像して、

さらに、それを紙に書きだすなど、

何らしか、目につきやすいように、

アウトプットされるといいかもしれませんね。

おそらく、

想像できた自分というものは、

その表現を通して、輝いていたのでは

ないでしょうか。

そのイメージをしっかりと

脳に刻み込むために、

紙に書くなどがいいと思います。

何度も何度も見返すときっと刻まれますので^^

そして、

その何かを表現している自分は

実は始めるのにそう難しくないことでは

ないのでしょうか。

もしかすると、

具体的に始めよう、取り組もうとすれば、

すぐ手の届くところに着手点があるのでは

ないでしょうか。

このように、

紙から思い出される、

何かを表現している自分のイメージと、

実際の行動の往還が始まってくると、

きっと、

おもしろいことになってくると思われます。

せっかく、いま、

表現の舞台に誰しもが立っているのですから。

立てているあいだにですね。

今回のシェアが皆さんの気づきや、

何か考えるきっかけになりましたら、

幸いです。

いつも最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

感謝いたします。

追伸:
ちなみに、上記を空想しているとき、
車の中では、いつもご紹介させて頂いている
久石譲さんがピアノ演奏するアシタカとサンを
聴いていました。

その音に耳を傾けていると、
明らかにやさしく、また時には強く、たくましく
鍵盤をたたかれている様子が浮かんできました。
こころと動作がひとつになって表現されていて
さらにピアノという楽器がその波動を拡大して
表現しているような。
そのような感覚を覚えました。

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