○本質的に学ぶべきは思考そのものである

ずいぶん昔の投稿で記載させて

頂いたかもしれませんが、

復習の意味を込め、再度投稿させて

いただきます。

日本では、

幼稚園、保育園、小学校、中学校

高校、大学、社会人といったように、

大きな枠の中でそれぞれ生きている

人が多いと思います。

そして、小、中、高など、

特に若い間は学校があり、学ぶべき内容が

あらかじめ決まっているような状況、

環境下で育っていると思います。

これは、様々視点で見ると、

効果的、効率的、能率的、受動的、

制限的、個々の才能は横に置いてある、

用意された内容が得意な人が評価される、

人の能力のごく一部だけの世界、

など、いい面、そうでなさそうな面、

いろいろあると思います。

少し話がずれたかもしれませんが、

そのような環境下に於いても、

これは忘れてはいけないことが

あると思っています。

「自立して生きる。」

または、

「自立して生きようとしている」

これは、自分の人生に対してだけではなく、

むしろ、子供と接するときの方針的な

中心軸として、

「自立して生きれる人間になるように」

(周りの方の特別な助けがなくても、
自分で考えて行動して生き抜いて
いけるように)

と私は考えています。

ですので、

子供のことで何か判断に迷うときには、

特にこの問いに戻るようにしています。

仮に、学校の成績がどれだけ良くても、

社会に出て自立して生きていくことが

困難であれば、それは本質的には何かが

違っていた・・・と思われます。

そういった意味においては、

学歴だけではもちろんその人を推し量る

ことはほぼできない。そう思います。

また、ご存知の通り現代は

コンピュータがあり、データ保存

(知識の格納)というものが非常に容易に

なっています。よって、むかしは

評価されたかもしれませんが、単純に

知識量を多く持っていたとしても、

その知識を有効活用できなければ、

残念ながら現代ではあまり価値を

なさなくなってきているようです。

また、最近は、よく耳にするAIが

出てきています。これは、大雑把ですが

人が予測したり、考えたりすることに

近い挙動をするものと認識しています。

上記のように、

コンピュータの進化の歴史を見ると、

最初にデータがあり、そのあとになって、

思考的な機能が備わってきているようです。

すでにAIに追い抜かれている分野も

多々ありますが、人にはひとりひとり、

ほぼみんなにAIを凌ぐ機能がすでに

いま、備わっています。

そして、その神的な機能を

使いながら日々過ごしています。

ただ、あたり前すぎて

無意識にだと思います^^

また、テレビをぼ~っと観たり、

ゲームを意図もなく長時間したり、

ネットサーフィンをしたりなど、、

その機能を有効利用していないことも

あるようです。自省・・・。。

ただ、上記にも述べてきました通り、

改めて人間が人間たる所以のひとつには、

「思考する」があるからだと思っています。

ちょっと長くなりますので、

次回に続きます。

皆さんの気づきや、

何か考えるきっかけになりましたら、

幸いです。

いつも最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

感謝いたします。

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