○内から外に出して、外で観る

先日、防犯カメラの映りを

確認しているとき、

自分自身が映っていることに

気づきました。

最初は、

「あれ?(自分って)

 こんな感じだったかな?」

って何度も見返しました^^

※どういう意味かは伏せておいて^^

モニタを見ていたからか、

少し前に腰が曲がっているような

感じに見えました。

森信三先生の『腰骨を立てる』

ということばが耳に残っているので、

基本は背筋は伸ばしているつ・も・り

でした。

ただ、実際にカメラを通して、

自分自身の姿勢を客観的に確認してみると、

まっすぐとは言えない姿勢でした。

そのときはその作業に集中していたので

あまり考えませんでしたが、その後、

このことを考えていると、ふと、

以下のようなことが思い浮かびました。

「自分の中(内側)から観ている自分と

 自分の外から観えている自分は
 
 決してイコールではない。」

と。

というのも、映像以外にも

思い当たる節が多々あるからです。

例えば、

マニアックですが、私は思いついたこと、

気づいたことを残しておくため、

(厳密に言えば、すぐに忘れてしまうため)

録音機を使って、自分の話を録音をするように

自分に習慣化しました。

そして、

その録音した音声を聞き返してみると、

最近こそ慣れましたが、

聞き返し始めた当初は、

「ん??

 誰この人? ^^ 」

っという感じでした。

つまり、自分の中で聴く自分の声と、

自分の外から聴く声自分の声とでは、

違いがあるのです。。。

そうこう考えていると、、

『私の関心ごとの”思考”についても、

 同じようなことがいえるのでは
 
 ないだろうか?」

と思いました。

これまでメルマガや、ブログなどで

多少は思考について言語化を

行っていますが、

あとから読み返してみると、

素直に賛成できることもあれば、

ちょっと違うかも・・・と

感じることもあります。

面白いことに、

自分自身が考えたことでも、

内側で考えたことと、

外側からその考えを観て

考えるときとでは違いが

発生していることでした。

人は、意識的・無意識的に

何らかの思考を脳に備えつつ、

常時、判断していると思います。

ただ、

よりよく生きようと思うとき、

『その思考のひとつひとつについて、

本当に、その思考の反応パターンで

いいのだろうか?』

または、

『自身の思考に磨きをかけたい。』

などと

改めて考えるときには、

上記のように、

一旦、外に出して観て見ることが

改善策のひとつになるかと思います。

人間、

自分自身の考えを疑おうとは

基本思わないと思いますので、

違和感を感じるかもしれませんが、

さらに高みを望むとき、

あえて文字に起こして、

外に出す価値はあると思います。

また、

たとえ、周りの人が、

例えば私の思考について

何か違和感を気づいていたとしても、

わざわざ教えてくださる方は

少ないように思われます。

よって、

自身で自身を替えていく。

それが自分にとってもエコな

自己成長の方法と思われます。

皆さんの気づきや、

何か考えるきっかけになりましたら、

幸いです。

いつも最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

感謝いたします。

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