○ 宝の持ち腐れ、ではいけない

きょうお昼ご飯を頂いているときに、

ふと、宝の持ち腐れ、ということばが

頭に浮かんできました。

この、宝の持ち腐れも

ことわざになるのでしょうか、

意味合い的には、猫に小判や、

馬の耳に念仏などにも少し近そうですね。

何の脈絡もなく浮かんできたのですが、

そのまま思考が動くままに続けてみました。

すると、

少し想像していただきたいのですが、

 宝 = 自分

という構図が浮かんできました。

ですので、

宝の持ち腐れ = 自分の持ち腐れ

つまりは、

宝以上に大切な自分がいると思います。

これにはほとんどの方が

ご納得していただけると思います。

しかし、

宝でも何にもしないと時間の経過とともに

腐ってしまいますが、同様に宝以上に大切な

自分自身に対して何にもしないと、

自分自身も腐ってしまうのではないか。

そう感じました。

この世に生を受け、

もし、この文章を読まれているとすれば、

それだけである意味、奇跡だと思います。

そもそも存在していること自体が

奇跡だと思います。

その奇跡をしっかりと認識しているならば、

「自分自身をより活かしてあげよう。」

そう思うことはごくごく自然のことだと

思われます。

人は生を受けてから、

死ぬまで実にさまざまな環境やルートを

通るようです。人それぞれに。

また、同じある一人の人間についても、

赤ちゃん、子供、青年、青年、壮年、

老年などのように、時期時期によって

できることやできないことが

少しずつではありますが、

観る時間軸を広げてみれば、かなり

ダイナミックに変化していると思います。

例えば、

身体・体力面で言えば、

10代後半~20代あたりが

人生ではピークを迎えるのではないでしょうか。

また、総合力でいえば、

30代~50代くらいがピークかも知れません。

なお、

智慧面では、

齢を重ねれば重ねるほど上昇しそうです。

その他、様々な切り口があると思います。

人生においては、常に、

「いま」しかないわけではありますが、

人の一生という観点から観たとき、

「いま」すべきこと、

「いま」しておいた方がいいこと

というものがあるような気がします。

絶対にNGとまではいえませんが、

70才を過ぎてからフルマラソンに挑戦する。

5才から仕事を始める。

逆に、

40歳で親に経済的に頼っている。

などなど、

冒頭に「宝の持ち腐れ」と

表現させていただきましたが、

ある時期を過ぎてから、取りくんだりしても

どうも無理があることがあるようです。

そうならないように、

宝(=自分)の持ち腐れにならないように、

(してはいけない)

いまを生きれたらと思います。

一生懸命に。

※なお、人それぞれに個人差、価値観などが
 あると思いますので、絶対的なものは
 ないと思っています。

今回のシェアが皆さんの気づきや、

何か考えるきっかけになりましたら、

幸いです。

いつも最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

感謝いたします。

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