前回は水の性質の一部についてお話させて
いただきました。
また、その性質は普段の生活や仕事や
組織にも活かせるのではないか。
そんな内容でした。
活かせる内容について自問したところ、
ひとつだけ頭に浮かんだものが
ありましたので、シェアいたします。
結論からですが、
「目配り、気配り」
という言葉が頭に浮かんできました。
ご存知の通り「水」は生き物にとって、
なくてはならないものです。
行き渡ってこそ、
円満の世界が広がっているように思います。
そして、その「水」は「きれいな水」で
あることが重要で「きれいな水」であるが故、
行き渡る際に汚れたところがあったときには、
自身の中にその汚れを溶け込ませ、
その対象をきれいにしていく。
そんなイメージが湧いてきました。
人の社会に対して考えた場合、
冒頭の「目配り、気配り」が
この「水」の働きに相当するような
気がしています。
そして、その「水」を一番強く、多く、
広範囲に向けて流すことができるのは、
その組織のトップではないでしょうか。
と同時に、
属する個々もそれぞれの立場で
その「水」を流すことができると思います。
「気配り」や「目配り」をですね。
「監視」という感覚ではなく、
「見守る」「配慮」といった感覚でしょうか。
実は私自身、
この「気配り」や「目配り」が苦手だと
自覚しています。
ですので、
このような言葉が浮かんできたのかも
しれません。。。
ふと気が付いたら、
非常に狭い範囲に気が集中してしまいがちな
性質なので、少し視点を上げて、広く周りを
見渡してみて「気配り」、「目配り」が
できればと思います。
こうすることで、
自身が救われることもあると思いますし、
周りの方に何かできることも増えるのではと
思います。
なお、ご想像の通り、
「きれいではない水」も存在します。
そしてそれも伝播します。
「きれいな水」というところ。
実はそこが難しいのかもしれません。
自然の摂理などの原理原則に基づくもの。
それに沿っているもの。こと。
それを実践できたとき。
「きれいな水」となり周りに伝播していくのでしょうか。
「水の性質」と「目配り、気配り」。
強引な紐づけとなってしまった感もありますが、
何か皆さんの考えるきっかけになりましたら、
幸いです。
いつも最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
感謝いたします。