○発揮能力と潜在能力

先日、ふと車の中で「発揮能力」という

ことばが頭の中に浮かびました。

この言葉は、たしか以前、

どなたかのメルマガか、本で見た

言葉だったと思いますが、

意味合い的には、

現実世界において、

実際に発揮できている能力のことと

認識しています。

また、この発揮能力について

考えを深めていったとき、

ふと、「潜在能力」ということばが

浮かんできました。

これは、言葉の通りですが、

潜在的に持っている能力のこと。

と、認識しています。

そして、面白いことに、

この「潜在能力」と「発揮能力」は

必ずしもいつも1対1にはならない

ようです。

例えば、

部活やスポーツなどの試合や発表において、

練習中にはできていることが、

できなかったりすることもあるかと

思います。

これも、

潜在能力と発揮能力が1対1にならない

例のひとつと捉えています。

ここから話の角度が変わりますが、

仮に、以下の2者がいた場合、

どちらの人生が充実しているでしょうか。

◆潜在能力があっても発揮能力を

出し切っていない人と

※やる気が起きないなどの理由で

◆潜在能力はそうないけれども

発揮能力をほぼ出し切っている人が

居た場合。
※やる気がぴかイチの気持ちで

千差万別の回答があると思いますが、

個人的には、

後者の方のほうが人生が充実している

のではと思っています。

与えられた能力を出し切るということは、

与えられたいのちを最大限に

輝かせているような気がするからです。

ご先祖から与えられた能力を

誰しもが有していると思います。

確かに、細かく観たり、

比較していくと人それぞれにおいて、

潜在能力の差が存在することは

間違いないようです。

そして、潜在能力のコントロール

そのものは厳しいと思います。

ただ、その与えられた潜在能力を

いかに発揮能力として、外に出せるか。

その点においては、

その個人個人の心ひとつ、行動一つで

コントロール可能であると考えます。

私自身にもありますが、

ときに、人は他の人と(他の人の潜在能力と)

自分(の潜在能力)を比較して、

影響を受けたり、思い悩むことも

あるかと思いますが、

上記のように、与えられたものは固定的。

それをいかに発揮できるかが勝負。

という風に考えると、

意識を向けるべき、コントロールすべきは

自身の潜在能力へではなく、

自身の発揮能力への姿勢であることが分かり、

多少は楽に、行動に移せるかもしれません。

とはいえ、

ある特殊な職業や、プロスポーツなど、

確定的に自身の能力を超えた、

ある一定以上のレベルを求められる場合もあることも

ひとつの事実としてはあるようです。

ただ、
本質は、変わらないと思います。

何か皆さんの考えるきっかけになりま
したら、

幸いです。

いつも最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

感謝いたします。

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