○ふたつの変化

先日、幣立神宮へ行ってきました。

前回に続いて、その際の気づきを

シェアいたします。

幣立神宮へ行く途中の車の中ででも

感じたことですが、「無常」という考えが

浮かんできました。

ちょうど寒い時期で、

ゼロ度付近の気温です。

そのためか、

この季節はあまり動きが感じられない

風景が続きます。

ただ、よく観察していると、

間違いないく変化しているものがあります。

その一つが風でした。

時折り強めの風が吹いているようで、

木々が少し揺れているのを感じました。

その後、幣立神宮へ着き、

大きな杉がある横のあぜ道を歩いていました。

私は大きな杉などが目の前にあると、

その偉大さ的なものを正面で感じるのも

好きですが、ちょっと違った見方で、

その幹の下の方から上の方を、

天へ向かって見上げるのも好きです。

「吸い込まれる」という感覚とは

ちょっと違いますが、

すーーっと引っ張られているように

見える姿が好きです。

うまく表現することが難しいですね。

前置きが長くなりましたが、

この見上げているときに、

ふとあることに気づきました。

それは、

木の幹のかなり上の方が、

風に合わせて揺れていた。

ということです。

当たり前のことと

思われるかもしれませんが、

大きな杉の横を自分の目線で歩いているとき、

杉の幹は大きすぎて、「動いている」などは

全く感じさせません。

それに対して、同じ幹でありながら、

上の方がゆ~っくりとしたリズムでは

ありましたが、風によって動いていた。

そのギャップが私の心には新鮮でした。

また、先ほどの無常(※)を、

この場面においても感じました。

※この世のものは常に変化し続けている。

 (ずっと同じであるものは存在しない)

その後、しばらくして、

このことを振り返っているとき、

変化には、見方により少なくとも二種類の

変化がありそうだと思いました。

一つには、

上記のような受動的な変化

もうひとつには、

その逆の能動的な変化

があるのではないかと。。

例えば、

少しこの視点で考えてみると、

自然の木や水や土や空気などは、

受動的な変化をしており、

一方、動物や人工物などは

能動的な変化もしているようです。

もう少し考えてみると、

人間はある意味でその両方をある程度、

コントロールできる立場にあると思います。

それは、

人間は考えて言葉を編んだり、

行動することができるから

能動的な変化を起こせる。

また、受動的な変化を求められた時も、

それを心でも受けて、能動的に解釈し、

能動的な変化へと変換もできると思います。

例えば、

何か頼まれ事をしたとき、

受動的に受けて対応する方法もひとつですが、

それを能動的に受け、「頼まれたこと+α」を

お返ししてみよう。と能動的に考え、

行動することが人間は可能です。

その他、

風邪をひきかけているようだと、

気づいたら、ひどくなる前に、

能動的に動いて身体を温めるなどの

手を打つこともできます。

すこし話が長くなりましたが、

人間には受動的に変化する能力に加え、

能動的に変化する能力があると思います。

そのような中、果たして自分は

その能力を適切に発揮できているだろうか。

それは人生の意味にも通じるような気がします。

そのようなことを自分へ改めた感じたので、

今回シェアさせていただきました。

今回のシェアが皆さんの気づきや、

何か考えるきっかけになりましたら、

幸いです。

いつも最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

感謝いたします。

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