昨年、
元春日大社宮司の葉室頼昭さんの本を
何冊か購入し、読ませていただいています。
その中で、以下の本を見返していたときに、
◆葉室頼昭
「神道と日本人」
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「本来、人間の身体は125歳まで生きられる
ようにつくられている。
お年よりはその手本を後世にその生き方で
示すことが出来る。」
っと言った旨(私の解釈)の内容が
記載されていました。
その文書を読んだとき、
ふと、私のおばあちゃんのことを思い出しました。
おそらく、おばあちゃんは私の深いところの感覚に
多大なる影響を与えてくださったと思っています。
というのも、両親が共働きであったこともあり、
幼い頃、学校から帰ると、そこにはいつも、
おばあちゃんが待っていてくれた。
そんな安心感があったように思いますし、
たまに学校が休みなどのとき、
おばあちゃんは規則正しく朝ごはんを作る手伝いや
あと片づけをされて、そして、廊下の掃きそうじを
されていたことが思い出されます。
その他、神棚、仏壇へまいにち、
お供え物の上げ下げ、お祈り、をされていました。
ちょっと考えただけでも、
そのような素晴らしい習慣をその行動をもって、
私に教えてくださったような気がします。
そして、私自身が子供の親になってみて、
すごいことと思いますが、
上記に挙げたような基本的な習慣について、
「~をしなければなりません。」
っといった言葉をおばあちゃんから受けたことは、
少なくとも私の記憶の中には一つもありません。
一方、
ほめられたことは多々あったように思います。
そのような記憶を思い出してみると、
人間の鏡のような存在だったなぁ。
そのようなおばあちゃんの孫で、
私は幸せものだなぁ~っと感じました。
ですので、
できることならば、ちゃんとした^^
おじいちゃんおばあちゃんがいる環境で
子育てができることがいいのではと
思っています。
また、良くも悪くも昔の日本はそのような環境が
あったのではなかろうかと推察しています。
っと同時に、
次第に歳を重ねていく自分は、
そのちゃんとしたおじいちゃん、おばあちゃん的な
存在に近づいていっているのだろうか。
心に残り続ける見本となるような存在に。
まだまだ程遠いですが、
そのようなことをふと考えましたので、
シェアさせていただきました。
何か皆さんの気づきや、
考えるきっかけになりましたら、
幸いです。
いつも最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
感謝いたします。