先日、朝から車を運転していると、
もう緑色の植物が道路沿いにちょこちょこと
生え新緑色に色づいていることに気づきました。
もう春が来ているのですね。
そのときふと以下のようなことを感じました。
『草は草取りの対象であり、
大した存在ではないのかもしれない。
草取りされたら、可哀想にすぐに死んでしまう。
ただ、よく考えてみると、
この時期になると自然に種から芽吹き、
いたるところから生えてきている。
確かに草取りでとられた草は居なくなるが、
もっと広い視点で捉えたときには、草は、
生き続けて、いのちを確実に繋いでいる。
そして、その淡々とした営みを
もう、何億年以上と続けてきたのであろう。
ただの草、ではあるけれども、
同時に、されど草である。』
道路沿いに生える草を脳裏に浮かべながら、
そんな空想をしていました。
見えるところ、表面ばかりを観て、
判断してしまいがちなときも人にはあると思います。
ただ、上記の例のように、
そこに至るまでの経緯的なものが
万事についてもあると思います。
この考えを用いることで役に立つことは
そうないかもしれませんが、
表面ばかりではなく、その経緯、背景、
外部環境などにも思いを馳せることにより、
何かについて深い理解をする事が
出来るのではないかと思われます。
今回は短めに。
今回のシェアが皆さんの気づきや、
何か考えるきっかけになりましたら、
幸いです。
いつも最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
感謝いたします。