○ ふたつのありがとう

突然ですがみなさん、本を選ぶときには

なにか流儀のようなものありますでしょうか。

私の場合、

流儀とまではいかないのですが、

この人は!と感じた人に出会った場合、

その人の本を一気に買ってしまう

傾向があります^^

Amazonなどで中古の安いものがあれば

それでそろえるようにしています。

そのような流れで、一時期、

小林正観さんの本をよく読んでいました。

その中で、

以下のタイトルの本があり、

「釈迦の教えは「感謝」だった。」
 https://amzn.to/2qEtbwP

きのうふと目について、

一部読み返してみました。

すると、、

悲しいかな、7割くらい内容が頭から

抜けていました^^

ただ、
重要なところは残っています^^

話を戻して、

その中の一節を読んで、

以下のように私が解釈したところがありました。

「ありがとうとは、

 いま手にしていないものが手に入ったときや、
 
 できないことができるようになったときなどに
 
 言う場合がある。」

「一方、いますでに手にしているものや、

 いまできていることに対して、
 
 ありがとう。と言う場合がある。」

両者は似て非なりだと思います。

前者は現在ないものが得られたらの、ありがとう。

後者は現在あるものに対しての、ありがとう。

っと認識しています。

うまく表現できませんが、

前者の思考パターンの場合、仮に得られなかったら、

ありがとう。という言葉や概念が出てこないことが

多いと思います。

一方、後者の思考パターンの場合、

既に得ているわけですから、ありがとうという機会は

生きてさえいれば、ほぼ毎日約束されているものです。

個人的な意見ですが、

こころの在り様としては、後者の在り方で

日々過ごした方が、穏やかな毎日を過ごせるのでは

ないかと想像します。

そして、その日々の積み重ねが、

その人の人生を形作っていくのではないかと思います。

ちょっとした違いではありますが、

自身の心の重心がどちらにあるのか。

自分自身の言動を客観的に振り返ってみると、

気づけるのではないかと思います。

ながい人生、

確かに山あり谷ありがあると思います。

うまくいっていないように感じるとき、

上記のふたつのありがとう(感謝)を思い出し、

こころの重心を意識的に後者に向けてみることで、

すこしは心が楽になるかもしれませんね。

また、会社などの組織内では

難しいとは思いますが、できることならば、

社員や関連の方々のお互いのこころのベースには

後者の心の在り方であれたら、いいですね。

現実的ではないかもしれませんが、

もしできたら。ということで。。。

今回のシェアが皆さんの気づきや、

何か考えるきっかけになりましたら、

幸いです。

いつも最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

感謝いたします。

スポンサーリンク
レクタングル大
レクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
レクタングル大