人はよく比較をする生き物のようです。
私自身もよく比較をしますし、
他の方もきっと比較をしているのだろうと。。
比較相対があるから、
自分を自分で認識できるという話もどこかで
きいたような気もします。
話を元に戻して、
比較を今回はざくっと2つに分けてみたいと
思います。
一つ目は、
自分(人)のためになる比較
もうひとつは、
あまり自分(人)のためにならない比較
例えば、
何かを目指しているとして、
その目指していることについて、
既に実績や高度な技術、知識を持っている
グループの中に自分で出向いて、
自分の現状と比較してみる。
これはある意味において、いい比較と
言えると思います。
(自分を成長させる原動力の
きっかけになるという意味において)
一方、
知り合いや会社の人が高級な装飾品を
身につけていた。それが気になって、
自分も何か欲しくなる^^
これはある意味よくない比較のようです。
(自分自身の内側からの原動力ではなく、
周りからの刺激に対して反応して
動くという点において)
また、子供の成績がだれだれと比較して
どうだこうだ。運動も比較してどうだこうだ。
学校も比較してどうだこうだ。
それは、ある意味において必要以上には
不要な思考のような気もします。
フォーカスすべきは、誰かが設定した
枠の中の項目についての比較・評価ではなく、
子供の特性を発見してあげることや、
特性を一番伸ばす環境づくりに
集中することだと思います。
とは言いましても、これは絶対的ではなく、
人により、逆に働く場合もあるかもしれません。
そこは、個々人の性格によると思いますので、
望む結果に繋がるような思考をすると
よいと思います。
比較とは非常に優れた思考方法と思いますが、
比較の仕方次第では、返ってマイナスに働く
場合もあるようです。
適切に比較という思考を
使いこなせるといいですね。
今回のシェアが皆さんの気づきや、
何か考えるきっかけになりましたら、
幸いです。
いつも最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
感謝いたします。