○それは、答えがあるものか、ないものか

先日、ある方とお話をしているとき、

その内容とはちょっと違うことですが、

ふと、今回のタイトルのことが

頭に浮かびました。

かなり大雑把な切り口になりますが、

この世には、

答えがあるものと、そうでないものが

あるようです。

例えば、
1 + 1 = 2

これは答えがあるものに属すると
考えています。

車を英語で書くと?
carになる。

これも答えがあるものの一例であると
思います。

これらに対して、
幸せとは?
人生とは?
努力とは?
目標とは?
目的とは?
生きがいとは?

などなどについては、

冷静に考えると、

そもそも、万人に適用できる

絶対的な答えが存在しない。

そう、感じました。

ここまで読まれてみて、

実際にいろいろなケースを考えて

みられて、みなさんの視点では

いかがでしょうか。

このように、

大雑把な切り口ではありますが、

少し思考を進めると、この切り口に

いいところがありそうです。

結論からですが、

『ある事柄について、

 絶対的な答えのないものと
 
 判断できた場合、

 その答えを決めるのは、

 あなた自身である。』

ということです。

冷静に考えれば、

当たり前のことですよね。

絶対的な答えがないのなら、

それについて、なんらしかの答えを

見いだすとき、それはあなた(私)が自由に

決めていい。

それがあなた(私)の答えである。と。

ただ、自分自身のことを振り返ったとき、

この切り口で、しっかりとこれまで

考えてこなかったなぁ~っと

反省したもので。。。

同じような状況の方が、

もしいらっしゃればと思い記載しております。

例えば、

「小学校、中学校へ毎日行く」ということ。

「仕事をするために会社に就職する」

ということ。

「同じ場所に住み続ける」ということ。

「誰とでも仲良くする」ということ。

「お参り、お祈りをする」ということ。

「習い事をする」ということ。

などなど、答えのないものは、

実に様々なことがあります。

そして、本来は上記に述べたように、

『自分で何をするのかを決めて、

 行動していい。』

と思っています。

答えがないのだから。

ただ、人というのは流されやすいもの。

身近な周りの人の勧めや、言葉や、

実際にしている人のこと話など、

少しの情報だけで、選択していることが

往々にしてあるようです。

(選択しているという自覚もなかった

 かもしれません。。。)

自身の履歴を振り返ってみても、

かなりあるようです。

すぐすぐには、

この思考パターンを切り替えることは

難しいとは思いますが、筋トレを

するが如く、この視点でものごとを

考えていけば、きっと、

自身の納得いく選択ができるのではと

思っています。

いま、当たり前に、ほぼ無意識で

行っていること。

それに対して、

それには答えがあることか?

ないのならば、なぜそれを選んでいるのか?

他に選択肢はないのだろうか?

といった問いを立てることで、

これまでとは異なった選択肢に

出会えると思います。

最後に、くどいですが、

その決定権は自身にあります。

間違ってもいいので、

自身で決定していく。

(決める前後、人や周りの声に

惑わされず)

その作業は自身への尊い作業だと思います。

何か皆さんの考えるきっかけになりましたら、

幸いです。

いつも最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

感謝いたします。

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