前回メルマガの子供とのプチ野球を
近所の方のお庭で行っています。
ご厚意でご了承いただいて、
自身の場所ではなく、ほかの方の場所で
行っています。
先日、野球をした後、
真っ暗ではありましたが、ふと、
「タライの水」の話(※1)や
「鍋と長箸」の話(※2)を思い出しました。
『場所をお借りするだけでは
いけないのではないか。』
そう感じ、
『何をお返しできるだろうか』
っと考えたところ、
季節柄、その場所には草がたくさん
生えてきていました。
その方はお歳をめされているので、
きっと体を動かされることはしんどいはず。
とするならば、
子供と一緒に草取りをしよう!
リスクはほぼないだろう。
あるとすれば、
『暗闇で草取りをしている不思議な親子』
と近くを通られた方に思われるくらいだろう。
⇒気にしなくていいだろうと^^
そこちょっとの時間でしたが、
野球が終わってから、子供と一緒に
草取りを楽しみました。
子供に伝わったかはわかりませんが、
場所をお借りしているから、何かお返しを
しないといけない。だからいまできる
草取りをしよう。
そしたら、また場所を気持ちよく
野球をさせてもらえるかもしれないから。
っといった旨を話しながら。
そして、
『このことに限らず、なんでもそうだよ。』
っと、抽象度をあげて、
他のことでも同じことである旨を^^
説明しました。
さすがにこちらは即理解は難しいと
思われますが、少しずつでも、
具体と抽象の思考を子供に伝えられたらと
思います。
今回はたまたま自分で気づけたらから
よかったのですが、おそらくその他のことでも
同様に当たり前に使用、利用させて
いただいているにもかかわらず、
そのお礼・お返し的なものを全く行っていない
ことがあるような気がします。
それには、今回のような場所や物であったり、
場合によっては、人からのお気遣いだったり
するかもしれません。
タイトルが今回の内容を適切に言い表せているか
微妙なところではありますが、
そのように人としての基本的な恩を感じ、
恩に感謝し恩に報いる。
それを地道に実践していくことで、
円満なる共存共栄につながるのではないか。
そんなこんなを感じました。
※1タライの水の話 の概要
タライの中に水が入っているとき
両手で自分に水を集めようとすると、
水は自分のところへ一定量は集まりますが、
そのあとは、周りの方へと流れていきます。
逆に、両手で水を反対側へ押し出すと、
回りまわって、水が自身の方へ流れてきます。
※2鍋と長箸の話 の概要
大元は仏教か何かのお話だったと思います。
あの世にはいくつかの世界に分かれているようで、
そのうちの一つの世界の一番面では、
大きな鍋があり、料理も出来上がっています。
鍋の周りにはお腹が減った人たちが取り囲んでいます。
ただ、食べるぞというときに、使うことができるのは
なが~い箸だけです。
箸で料理をつつくのはできるのですが、
その箸は長すぎるので、自分で自分の口へ
料理をもってくるのは長すぎてできず・・・
お腹が空いているのに・・・
そこにいらっしゃる方々は、
食べられずに苦しんでいます。
ただ、一方、あの世で他の世界では、
同じ条件の風景があります。
大きな鍋と取り囲む人と長い箸。
ただ、こちらにいる方々はみんなおいしく
ご馳走をいただいています。
そうです。
お互いがお互いの口に料理を運んでいるのです。
矢印が、自分だけではなく、
相手へ向いているところが違うところのようです。
今回のシェアが皆さんの気づきや、
何か考えるきっかけになりましたら、
幸いです。
いつも最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
感謝いたします。