○ 複数の自分を認める

先日、ドライブをしているときに

ふと今回の内容が浮かんできました。

例えば、

『ある人にあることできつく注意を受け、

 凹んでいる自分がいた。

 
 その後、その人に対して、ある種の

 感情を抱くようになった。』

上記はあくまで例であり、

事例はその他、山ほどあると思います。

今回の投稿で注目したいことは、

『その人に対して、ある種の

 感情を抱くよう・・・』

という箇所になります。

これも人によるかと思いますが、

ついつい、

 その人 = ある種の感情

をセットとして、

自分の中(脳)に見えない図式として、

セットしてしまう傾向が

人にはあるようです。

しかし、冷静に考えれば、

これは、あることに対して

きつく注意を受けただけであり、

それ以外については必ずしも、

そうなるとは限らない。

このように捉える事も

出来ると思います。

少し話が飛びますが、

ニュースなどで外国のお話が出てきて、

「この国では~~のようにしています。」

などを見聞きすると、

どうも人は、(無意識的に)

「その国の人はみんな~~のようにする。」

っと思い込んでしまうようです。

テレビの県民ショー?でも

同じようなことがいえると思います。

確かに、ある集団に対して、

そのような事実はあるかもしれない。

ただし、

その集団に属する人全員に対して

その事実が適用できるとは限らない。

そう感じましたし、

本当に無意識的に陥りやすいところと

思います。

上記は対相手についてでしたが、

一方、タイトルにもありますように、

対自分との会話もあると思います。

何か問題などが起こった際、

「自分は~~なんだ。」

っと無意識的に

考えてしまうことがないでしょうか。

または、固定的に

「自分はいつも~~なんだ。」

っと思う事もあるかもしれません。

ただ、

上記の対相手のときと同様に、

冷静に考えてみると、

その問題が発生したときの状況において、

私自身がそう判断したり、発言したり、

行動したことは事実でしょう。

ただ、

次に同じような状況になったときに、

必ずしもそのような反応をするとは

限らない。

その時の自分も居れば、

それを受けて変わった自分も居る。

そう捉えることで、

いつも陥りがちなプチ負のループから、

すぐ抜け出せるかもしれませんね。

今回のシェアが皆さんの気づきや、

何か考えるきっかけになりましたら、

幸いです。

いつも最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

感謝いたします。

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