○ 「問い」が自分の世界観を浮き彫りにする

例えば、社会人の方であれば、

『いまのお勤め先を辞めて、

 まったく畑違いのところで働きませんか?』

っという、

「問い」があったら、

どう感じられますでしょうか。

何を考えられますでしょうか。

学生でしたら、

進学予定先があるとしたら、

それよりもずっと上の進学先について、

『いまの進学予定先ではなく、

 ○○の進学先はどうだろうか?』

または、

『いまの進学予定だが、

 進学ではなく、就職はどうだろうか?』

っという「問い」があったら、

どう感じるでしょうか。

何が頭の中に浮かんでくるでしょうか。

考えるだけですので、

ちょっと考えて頂けたらと思います。

ある方は、

「そんなの無理に決まっている。」

「もう齢だし」

「自分の能力では厳しい」

「現実的ではない」

しかし、ある方は、

「いいかもしれない。」

「実は、ちょうど考えていたところだった」

「条件が合えば考える」

などなど、

無数の回答があると思います。

ただ、一つだけ言えるのは、

「いつもの自身の思考の範囲外に

 思考を持って行けた」

ということだと思います。

これは時には大切なことだと思います。

といいますのも、

「人は慣れの動物である」

とよく聞きますが、

自分自身を振り返ってみて、

まさしくそうだと思います。

これはいいかえると、

同じ思考パターンばかりを使って、

日々行動している。

とも大枠で言えそうです。

その思考が常に最適であり続けれたら

よいのですが、外部環境はかならず

時間とともに変わりますので、その思考も

いつしか最適点から徐々に徐々に

ずれていくことになります。

ただ、人は慣れの生き物で、

その最適点だったときの思考を

保ち続けようとする場合が多いようです。

そこに問題があるようです。

ということであれば、

時折り、自身への「問い」を通して、

自身の思考や世界観を客観視してあげる

必要があるようです。

その世界の中にいるときには、

その世界がすべてになってしまいますので、

やはり、問いを通していったん外へ

出て観る必要があるようです。

人に会うことで人生が変わる。

そういうこともよく聞きますし、

自身の人生を振り返ってみましても、

ある特定の方の影響というものは

少なからず受けていると思います。

これは、

その人と出会うことで、

純粋に新しい世界観・知識・認識を

教えていただくことに加えて、

なんらしかの「問い」も直接的、

二次的に頂いていることで、

人生が変わる確率が

大きくなるのではないかと思われます。

自分専用の

良質な「問い」を自身にかけていく。

必要であれば定期的に。

その習慣はより良い人生に、

自分や仲間を連れていく道しるべに

なってくれるかもしれませんね。

今回のシェアが皆さんの気づきや、

何か考えるきっかけになりましたら、

幸いです。

いつも最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

感謝いたします。

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